東京高等裁判所 昭和25年(う)2315号 判決 1950年11月15日
被告人
武士忠京
外六名
主文
被告人今井寿太郎に対する原判決を破棄する。
被告人今井寿太郎を懲役十月及び罰金三千円に処する。
被告人今井寿太郎が右罰金を完納しないときは金三百円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。
被告人武士忠京、同伏見暲、同高砂松夫、同小此木清、同斎藤三作及び同岡田庄造の各控訴並びに被告人武士忠京に対する検事控訴はいずれもこれを棄却する。
当審における訴訟費用中弁護人井手諦一郎に支給した分は被告人小此木清に、弁護人栗原宰之助に支給したる分は被告人伏見暲に、弁護人植月浅雄に支給した分は被告人岡田庄造に、原審における訴訟費用証人津島功に支拂つた分の十分の一、弁護人丸山勇に支拂つた分の六分の一は被告人今井寿太郎に夫々これを負担せしむるものとする。
理由
検事の控訴趣意第二点について。
(イ) 論旨は原判決が公訴事実中被告人今井寿太郎は昭和二十四年十二月十八、九日頃被告人武士忠京が前掲(二)の如く麻薬一五七瓦を吉田某に、譲渡せんとするのを斡旋仲介しこれを幇助したとの事実については証明が十分でないとして無罪の言渡をしたのは法律の解釈を誤つたものであるから破棄を免かれないし、同人に対する有罪の部分も諸般の情況から考えると原判決の量刑は不当であるというにある。よつて調査するに有罪部分についてもその犯情被告人の身上その他諸般の情況を参酌すると原判決が判示三箇の事実に対し、被告人を罰金七千円に処したのは量刑著しく不当であるから原判決は破棄を免かれない。なお無罪の部分に関しては、原判決は麻薬取締法第三條第一項の法意は麻薬取扱者以外の者は譲受人本人又は他人が麻薬を施用し又は施用せしめる目的で、或は他人が施用するであろうという情を知り乍ら敢て麻薬を譲り受け又は譲渡することを禁止したものである。しかるに本件では吉田某こと津島功が武士忠京から麻薬を買入れようとしたのは摘発検挙のために被告人を使用したのであつて被告人は他人をして麻薬を施用させる目的を以つて、或は他人がこれを施用する情を知りながら本件麻薬の売買の斡旋をしたという確証がないから同人に対する公訴は無罪であるというが麻薬取締法第三條第一項の規定の文理上原判決のような見解はこれを是認することはない。右第三條第一項の規定を同條第二項の規定と対比すると「施用のため」は単に交付にかかるので、譲り受け譲り渡しにはかからないと解すべきである。
第二條第九項には、麻薬施用者即ち医師などが施用のため交付するとか第十項には麻薬管理者が施用のため交付する云々といつている点から考えると第三條の「施用のため」というのは単に交付にかかるので譲り受けなどにはかからないと解すべきである。また麻薬取扱者以外の者は施用の目的がなくても麻薬の譲り受け譲り渡しをしてはならないと解するのが本法制定の趣旨からも相当である。しかるに原判決は前掲法條第一項の誤つた解釈の下に本件を無罪としたものであるから原判決のこの部分も亦破棄を免かれない。
伏見暲の弁護人桝井雅生の控訴趣意について。
(ロ) 第一点論旨は被告人は医師であつたその父が昭和二十四年九月二十三日死亡し、他の兄妹はいずれも他家に居りし関係上父と同棲していた被告人が父の死亡後は本件麻薬をも保管しておつたが父の遺した多くの薬品中に麻薬のあることを知らず、同年十二月十七日頃高砂によつて発見せられて初めて麻薬であつたことを知つたから判示のように永い期間に亘つて麻薬であることを知りながらこれを所持したものでないのに原判決が判示のように永い期間に亘つて本件麻薬を麻薬であることを知りながら、所持した如く認定したのは認定事実と証拠との間にくいちがいがあつて、原判決は破棄を免かれないというにある。よつて記録並びに原審が取調べた証拠に現れた事実を調査するに、被告人は父の死後父が医者をしていたから薬ならなんでも一通りはあると思いながら漫然と父の遺した薬品を所持したものであることが認められる。只その中に本件麻薬のあることを発見した時機は所論の通りである。しかし医師が所持した薬品中には麻薬のような法律によつて、その所持を認められた者でなければ所持が許されない薬品も存在するのが常である。しかも本件麻薬は他の薬品と区別して赤いレツテルがはられ一瓶にはコデインと、他の一瓶にはプロイインと書かれ、なお残りの一瓶は無名であつたが、これら三個の瓶はまとめて小箱に入れてあつたものである。被告人は父が医者をしていたから薬ならなんでも一通りはあると思つていたことを認むるに足る。それらの事情を綜合すると被告人には確定故意はないが未必的故意があつたことを認めるに足りる。かような故意の下に所持することも麻薬取締法所定の所持として欠くる所はない。従つて確実に本件麻薬の存在を認識したのが仮令所論の時期であるとしても、原判決が本件所持の期間を昭和二十四年九月末頃から同年十二月十七日頃迄云々と判示認定したのは相当である。故に原判決には証拠と事実との間にくいちがいがあるものとは認められない。論旨理由ないものである。
小此木清の弁護人竹中半一郎の控訴趣意について。
(ハ) 第二点、論旨は本件甲第八号証の三の匕首一口とあるは、はたして匕首なりや否や不明なのに鑑定を待たないで匕首と認定したのは審理不尽であるというが、元来、法及び事実から一定の結論を引出すことは裁判所の職権に属することであるが、特殊の技能又は経験を有しなければ正しい判断ができないような事項については所謂鑑定人の意見を徴することが必要であるが、本件匕首が銃砲等所持禁止令に所謂匕首であるか否かは裁判官に於て容易に判断しうる所であるし、所論の匕首を調査してもそれが匕首であることは明瞭であるから原審が鑑定人の鑑定を待つまでもなくこれを匕首であると認定したるのは相当であつて原判決には所論のような違法はない。論旨理由ないものである。
小此木清の弁護人井手諦一郎の控訴趣意について。
(ニ) (前略)次ぎに弁護人は本件匕首所持は本品が仮令美術品としての鑑識を受けないものとしても日本人の伝統的観念の上からは、美術品と異ならないから被告人の本件匕首所持には犯意がないによつて無罪であるというが仮令日本人が伝統的に日本刀等に対し美術的愛好心があり、被告人亦かかる愛好心から本件匕首を所持したとしても、それは只本件所持の動機であるから犯意がないものでないし、又かかる動機は本件所持を無罪たらしめるものでもない。蓋し近世に於ては所謂犯意と動機とは明白に区別されており、被告人は本件匕首の所持について認識を有すること明白であるから、所謂犯意ある所持をしたものであるが時として動機は犯罪の成否を決するから、その不成立事由を検討するに所論のような所持の動機は銃砲等所持禁止令、刑法第三十五條以下共にこれを本件犯罪不成立の事由として認めていないこと明白であるからである。所論は犯意と動機とを混同するものであつて到底採用できない。論旨理由ないものである。